『自分の私生活は公開しないくせに、受講者の私生活を知りたがる講師ばかり…怒…、そこで迷物講師は不平等な関係を改める為に、自分の私生活を積極的に公開しま~す…ハイ!…』
この記事は、2001年(平成13年)1月12日のもので、宅建倶楽部創業時の苦労話を明かしたものです。
時は、1993年(平成5年)12月。
「夕刊フジ」や「夕刊ゲンダイ」に対抗しようと、アスカという夕刊紙が創刊されました。
タレントの島田紳助を使い、テレビのスポット広告をじゃんじゃん流しました。
「今度まったく新しい形の夕刊紙が誕生しまーす」と。
当時、宅建倶楽部は創業間もない時期で、宣伝は住宅新報社の不動産受験新報(月刊誌)だけで行っていましたが、頭打ちでした。
ある日、広告代理店から電話があり、「夕刊アスカが創刊されるから、今なら格安で宅建倶楽部さんの広告を載せられる」というので、喜んで依頼しました。
4回(4日連続)載せて10万円(消費税別)という約束です。
私は「これで俺も有名になれる」と喜び勇み、駅の売店でアスカを10部くらい買って来ては、知り合いに配ったりしていました。
さて、宣伝効果はどうだったか。
反応ゼロでした。
オマケに、夕刊アスカはそれから1ヶ月も経たないうちに廃刊になっちゃいました。
ナンダコリャ!
宅建倶楽部創業時の苦労話でした。
2001年01月12日(金)記
2021年09月18日(土)追記
2023年11月23日(木)追記
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