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カミサン


『自分の私生活は公開しないくせに、受講者の私生活を知りたがる講師ばかり…怒…、そこで迷物講師は不平等な関係を改める為に、自分の私生活を積極的に公開しま~す…ハイ!…』



2006年(平成18年)に書いたメッセージです。

【ぼく】 の続き

自分の奥さんのことを「カミサン」と書くのは、好きじゃないです。
自分のことを「おいら」と書くのと同様、無理に江戸っ子ぶっているからです。

私は、直木賞受賞作の「あかね空」を読んで以来、山本一力のファンなので、氏の「にこにこ貧乏」を読むためだけに週刊文春を買うことも多いです。

山本一力は14歳まで高知にいたのに、「にこにこ貧乏」では奥さんのことをいつも「カミサン」と書いています。

今は東京の下町(深川)に住んでいるらしいですが、無理しているなあと思います。

中野から西荻窪あたりに下宿していた、私の学生時代からの友人は、妙に中央線沿線を懐かしみます。
下北沢に下宿していた友人は、昔のままがイイと、いま再開発反対の音頭をとってます。

こういう点、生まれた時から東京で育った私は、非常にさめています。
彼らに言わせれば「東京育ちは冷たい!」。

私の原点は中央線沿線でも下北沢でもないです
小学校に入学する前後の風景であり、大人の言葉です

東京のJRは、全部がチョコレート色で、中央線の快速は急行券の要らない「急行」でした。
下北沢を通る小田急線の車両もチョコレート色でした。

私の両親は、JRを省線と呼んでました(鉄道「省」の「線」という意味)。
明治生まれのオバアチャンに至っては、院電ですよ(鉄道「院」の「電」車という意味)。

「カミサン」と書き、それが支持されるのも、小学校入学前後からそれを原点として聞き慣れた者に限る、と思いますがどうでしょう。

やっぱり独断と偏見?


2006年04月05日(水)記
2023年11月30日(木)追記



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