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「信義誠実の原則」と「権利濫用の禁止」 - その6

(1)イントロ

その4では、「自分勝手にならない限り自由」ということを知っていると、宅建試験に出題されるほとんどの科目(民法・借地借家法・区分所有法・不動産登記法・宅建業法・都市計画法・建築基準法・国土利用計画法・農地法・宅地造成及び特定盛土等規制法・土地区画整理法)の理解が速くなると書きました。

そうなると、「自分勝手にならない限り自由」というフレーズからは、

【A】 自分勝手になるものは、お上(法律・最高裁判例)に規制されて、自由でなくなる
【B】 自分勝手でないものは、お上(法律・最高裁判例)に規制されず、自由のまま

に枝分かれして行くことになり、ここが宅建の問題の正誤の分かれ道にもなる、と書きました。

だから宅建受験者の皆さまは、この【A】と【B】の境界線(分かれ道)をいかに具体化して、日常用語で表現・理解できるかが勝負になるとも書きました。

そして、一番使える境界線(分かれ道)は、

【C】 過去の表示と矛盾する行動は許されない(規制される)
【D】 過去の表示と矛盾しない行動は許される(規制されない)

というもので、【C】を「禁反言」といい、その具体例をあげました。

(2)次に使える境界線(分かれ道)=表見法理

【E】過失有る信頼(善意・有過失)は保護されない(信頼させた者は責任を負わない)
【F】過失無き信頼(善意・無過失)は保護される(信頼させた者は責任を負う)


というのが次に使える境界線(分かれ道)で、【F】表見法理といいます。

(3)表見法理の具体例 - その1

平成11年度問9肢1はこんな問題でした。

「Aの被用者Bが、Aの事業の執行につきCとの間の取引において不法行為をし、CからAに対しAの使用者責任に関する損害賠償の請求がされた。Bの行為が、Bの職務行為そのものには属しない場合でも、その行為の外形から判断して、Bの職務の範囲内に属すると認められるとき、Aは、Cに対して使用者責任を負うことがある。」

登場人物
A…使用者
B…被用者(従業員)      
C…相手方(不法行為の被害者)
です。

この問題なんかは、「表見法理」が使える例を説明するのにウッテツケです。
上で書いたように、
【E】過失有る信頼(善意・有過失)は保護されない(信頼させた者は責任を負わない)
【F】過失無き信頼(善意・無過失)は保護される(信頼させた者は責任を負う)

ということで、【F】「表見法理」といいます。

だから本問では、被用者(従業員)Bの担当そのものでない場合でも、部外者である相手方(不法行為の被害者)Cが判断して、Bの担当であると見えるとき(その行為の外形から判断して、Bの職務の範囲内に属すると認められるとき)には、使用者Aは、使用者責任を負わされることになります。

つまり、Cが「過失無き信頼」をしたとき(Bが職務権限なくその行為を行っていることについてCが善意・無過失の場合)は、Aは、Cに対して使用者責任を負います。

したがって、「Aは、Cに対して使用者責任を負うことがある」と結んでいる本肢は、正しい肢になります。

(4)表見法理の具体例 - その2

平成11年度問9肢2はこんな問題でした。

「Aの被用者Bが、Aの事業の執行につきCとの間の取引において不法行為をし、CからAに対しAの使用者責任に関する損害賠償の請求がされた。Bが職務権限なくその行為を行っていることをCが知らなかった場合で、そのことにつきCに重大な過失があるとき、Aは、Cに対して使用者責任を負わない。」

登場人物
A…使用者
B…被用者(従業員)      
C…相手方(不法行為の被害者)
です。

Cが「過失無き信頼」をしたとき(Bの担当でない事について善意・無過失の場合)は、Aは、Cに対して使用者責任を負う、というのが表見法理です。

そうすると本肢のように、Bが職務権限なくその行為を行っていることについてCが善意だ(知らなかった)としても、そのことにつきCに重大な過失があるときはCは無過失とは言えないので、Aは、Cに対して使用者責任を負わないでよい(表見法理が適用されない)ことになります。
最高裁判所の判例も、同じように解釈しています(昭和42年11月2日)。

したがって、本肢も正しい肢になります。

(5)三番目に使える境界線(分かれ道)=外観法理

上の(2)では、
【E】過失有る信頼(善意・有過失)は保護されない(信頼させた者は責任を負わない)
と書きました。

これを逆転させて、
【G】過失有る信頼(善意・有過失)も保護される(信頼させた者は責任を負う)
のが三番目に使える境界線(分かれ道)で、これを外観法理といいます。

平成24年度問1はこんな問題文でした。

「民法第94条第2項は、相手方と通じてした虚偽の意思表示の無効は「善意の第三者に対抗することができない。」と定めている。次の記述のうち、民法の規定及び判例によれば、同項の「第三者」に該当しないものはどれか。」

例えば、AとBがグルになって虚偽表示によって不動産をBに売却し、Bがさらにその不動産をCに転売した場合、AやBは、AB間の売買契約が無効だということを、Cが善意のときは主張できないことを表現したのが、民法第94条第2項です。

この場合、第三者Cは善意であれば(AB間の売買契約が虚偽表示であることを知らなければ)良く、そのことについて過失があっても(有過失でも)保護されます
そう解釈するのが、通説であり判例(戦前の最高裁に当たる大審院判例昭和12年8月10日)です。

(6)表見法理と外観法理の違い

表見法理は、
【F】過失無き信頼(善意・無過失)は保護される(信頼させた者は責任を負う)
です。
外観法理は、
【G】過失有る信頼(善意・有過失)も保護される(信頼させた者は責任を負う)
です。
どうして無過失・有過失の違いが出てしまうのでしょうか?

その理由は、信頼を与えた本人の悪さの程度が違うからです。

上の方で、私が表見法理の具体例としてあげた問題は、
「Aの被用者Bが、Aの事業の執行につきCとの間の取引において不法行為をし、CからAに対しAの使用者責任に関する損害賠償の請求がされた。Bが職務権限なくその行為を行っていることをCが知らなかった場合で、そのことにつきCに重大な過失があるとき、Aは、Cに対して使用者責任を負わない」(答:正しい肢)というものでした。

この問題で考えると分かると思いますが、一番悪いのは被用者Bです。
信頼を与えた本人(使用者)Aは「少し悪い」だけでBほどは悪くない、というのが物事の道理でしょう。本人Aは、積極的に悪さをしたというより名前を貸したという程度の責任です。
被用者が越権行為をした場合に相手方が信頼してしまうのは、いわば名刺の威力であり、会社が会社名義の使用を許したということです。そんなのは資本主義社会では少し悪いだけで、一番悪いとまでは言えないです。皆さまも、迷物講師なんかより大手予備校に所属する新米講師を信頼してしまう場合があると思いますが、名刺の威力という点では、同じ理屈ですね。新米講師が変な事しても大手予備校は「少し悪い」だけです!

それに対して、外観法理の例としてあげた民法第94条第2項が適用される場合に一番悪いのは、Cに信頼を与えた本人自身(虚偽表示したAとB)です。悪さの大元でありウンと悪いです。

そんなワケで通説や判例は、
◆ 信頼を与えた本人が少し悪いときは、善意・無過失の相手方を保護する(表見法理)
◆ 信頼を与えた本人が一番悪いときは、善意の相手方を保護する(外観法理)

として、相手方の保護について、本人の悪さの程度で差異を設け、両者の利益のバランスを図っているのです。

ちまたに溢れる宅建解説には、「取引の安全」「動的安全」なんていう言葉が踊っているようですが、それらは「相手方を保護する」と同義語であり、抽象的すぎて民法で合格点を取るには一歩たりない、と申し上げておきます。


2013年01月03日(木)記
2023年12月08日(金)追記



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