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国家あっての国民

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2023年度(令和5年度)宅建試験が終わったので、読書三昧(ざんまい)の日々を送っている迷物講師です。

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とは言っても、何か新しい本を買ってくるわけじゃないです。
むかし買った本を読み直しているだけです。

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きのうは、伊藤榮樹(しげき)さんの本を読み直しました。

知らない人も多いでしょうが、伊藤さんは40年以上も前のロッキード事件で、田中角榮元首相が逮捕された時の東京地検特捜部の検事です。

その後、検察の最高ポスト(検事総長)にまで昇りつめた人です。

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伊藤榮樹さんが書いてたことで、この40年以上、私の頭から離れない言葉があります。
それは家あっての検察というフレーズ。

事あるごとに巨悪を眠らせるな!と発言していた伊藤さんですが、最後の最後では、国家権力が悪に目をつぶることがあるということです。
その際、伊藤さんが使ったフレーズが国家あっての検察でした。
国のシステムが崩壊したら、検察もクソもないです。
検察だって国のシステムの一部を構成しているわけだし。
日本国があるからこそ、日本人という言葉もあると言えるわけだし…。

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伊藤さんの国家あっての検察のフレーズは、その後、わが国の支配者によってアレンジされ、好んで使われるようになりました。
それが、このメッセージのタイトル国家あっての国民です。
「国家が崩壊したら国民の幸せもクソもない。だから税金が少し高くなったくらいで文句を言うな!」という使われ方が典型でした。

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もっとも2020年代の今では、国家あっての国民は人気がないです。
逆の「国民あっての国家」という言葉のほうが人気です。

民主主義では国民が主人公です(国民主権主義)。
とすれば、国民あっての国家というフレーズのほうに人気があるのは当然かもしれません。

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国民あっての国家というフレーズは、憲法を少しかじったことがある私からすれば、一応理にかなっています。確かに、民主主義では国民が主人公だからです(国民主権主義)。

でも私には、民主主義って万能なの?という根本的な疑問があります。
「人民の、人民による、人民のための」デモクラシーって、その大もとにいる人民がバカだったら、絵空事に過ぎないじゃないか、という疑問です。

国民が政治家を選ぶ。
そして選ばれた政治家が悪を犯す。
となった場合に、そういう悪を犯す政治家を選んだ国民がバカ(愚衆)だったから、とも言えます。

こういう考えかたを「愚衆(ぐしゅう)政治」といい、民主主義を冷やかすときに良く使われます。

愚衆政治だからと言って、毎日の生活に追われている国民の多くを「愚衆から開放する」のは不可能でしょうから、「民主主義=愚衆政治」との冷やかしに、反論するのも難しいです。


2008年07月25日(金)記
2023年11月08日(水)追記



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