迷物ブランド講座

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有田焼

有田焼といえば柿右衛門ですね。
東京日本橋の三越本店で酒井田柿右衛門展をやっていたので観て来ました。
現在の柿右衛門氏は14代目だそうですが,「赤絵」の高度な技法は健在でした。

なんて言うと,私は相当陶芸に造詣がありそうに聞こえるでしょうが,全然違います。

私と有田との出会いは中学生の頃でしたが,錦松梅(きんしょうばい)の器を通してです。
私の育った近く(四谷三丁目)に,高級ふりかけ錦松梅の本店があり,同じ中学にそこの娘が通っていました。
彼女が美人だったんで,どんなに美味しいんだろうと母親にせがんで食べてみたのです。
私は薄味が好きなので,この味は一度でイイなと思ったのですが,ふりかけが入っていた器のほうに魅了されました。
赤・黄・緑などの多彩な装飾を凝らした有田焼だったんです(今でも同じです)。

野球少年の鼻たれ小僧が焼物などに魅了されたのは,私の人生の七不思議の一つです。
以来,陶芸に目覚めた(?)私は,中学の修学旅行で行った京都では,小遣い全部をはたいて清水の抹茶茶碗を買い求めるような少年になってました。

野球少年が伝統的なものに引かれるミスマッチの原因は,我家(公務員宿舎)の向かいにお屋敷を構えていた茶道遠州流の家元「小堀宗慶」さん(12世)に可愛がってもらったからかも知れません。

当時私が住んでいた信濃町という所は,都市計画がメチャクチャな所でした。
2軒長屋の公務員住宅が我家かと思えば,その真向かいが小堀宗慶さんのお屋敷,さらに5・6件西に行くと池田勇人首相の私邸。
その2軒隣が,初期のNHK朝ドラのモデルだった「おはなはん」の家という具合でした。

このすべてのお屋敷のガラスを,野球のボールをそらして割った少年,それが私です!
「イイですよ,元気なお子さんがなさった事ですから」と,母親が差し出した弁償金を受け取るお屋敷は一軒も無かったそうです。

平成14年3月2日(土)記




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