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更新:平成20年9月12日(金)

水戸徳川家と井伊家

水戸徳川家と井伊家(1)

私は東京都渋谷区出身と言うことにしていますが,それは本籍地が渋谷区だからに過ぎません。
イロイロな所に住んだ経験があります。
小口という苗字は長野県に多いですが,先祖は水戸徳川家に仕える下級武士でした。

もっと言うと,幕末の桜田門外の変で井伊大老を斬ったのが私の先祖です。

こういう話は,子供の頃から父親に良く聞かされて育ち,大人になってからも調べた結果です。
お陰で,幕末以降現代までの日本の権力構造を研究するのが,1つの趣味になってしまいました。

昭和17年,一人の青年が時の内閣総理大臣 東条英機名義の辞令をもらいました。
私の父親です。

なんて書くと,小口家は相当なエリートと思われるでしょうが,もう少し読んでください。
父親は,今で言えばアルバイト上がりのノンキャリアです。
当時は,公務員試験など受けなくても,臨時雇いの青年が上司に認められれば正職員になることもできたのです。

父親の勤め先は,一貫して大蔵省印刷局でした。
おさつの印刷をはじめ,官報の発行などをする所です。

父親は平成7年に亡くなっているので,もう少し立ち入った話をしましょう。

滋賀県彦根市に大蔵省印刷局彦根工場というのが今でも在ります。
おさつを印刷して関西に供給する基地です。

父親は昭和40年代に,幹部として彦根工場に転勤しました。
今と違って,単身赴任というのは無かったので,家族全員が東京から彦根市に引っ越しました。

彦根は,井伊大老の城下町として発達した所です。
当時は非常に保守的な町でした。
昭和になっても井伊家が支配しているような雰囲気でした。

当時の彦根市長は井伊直愛さんという方で井伊大老の直系だと聞かされ,「ウワー,スゲー!」と10代後半の私がショックを受けたのを覚えています。

東京ナンバーのバイクに乗っているだけで,警官から何回止められたか分かりません。
よそ者は,どちらかというと排除する土地柄でした。

なお,彦根市民および滋賀県民の名誉のために申し上げます。
当時もよそ者にやさしい人は大勢いました。
2・3年前,私は子供を連れて彦根城のそばの琵琶湖に泳ぎに行きましたが,最近は大阪・京都のベッドタウンとなったようで,よそ者を排除するような雰囲気は全然感じられませんでした。

平成12年12月4日(月)記
平成20年9月12日(金)追記




水戸徳川家と井伊家(2)

昨日の続きです。
岐阜県の関が原から滋賀県の近江八幡までは,地形の関係で冬になると日本海側と同じように雪が降ります。
東海道新幹線も,この雪が原因でタマに遅れます。

昭和40年代のシンシンと雪が降るある夜。
彦根警察署から電話がありました。
「泥酔したおたくの御主人を保護しているので,すぐ迎えにきてくれ」とのことです。

青くなった母親とかけつけると,警察署のストーブの前で高いびきを立てて父親が寝ているではありませんか!
東京からきた印刷局の幹部だということで,エライお巡りさんが父親の顔を知っていたようです。

事情を聞くと,「芹川(せりがわ)の土手で雪の下から人間のいびきが聞こえる,という匿名の110番があったので行ってみると,御主人が寝ていたので保護した」ということです。

翌朝,父親に聞いてみると,「川の土手で立小便をしたことまでは覚えている」というのです。
誰と飲んだのかと聞くと「AさんとBさんだ」と答えます。
母親は涙声で「どうしてAさん達は介抱してくれなかったのかしら」と詰問します。

「そういえば,俺はきのう先祖は水戸徳川家で井伊大老を斬った,と口をすべらせちゃったんだが,それから雰囲気が変わった」,と言ってケロッとしています。

匿名の110番が無かったら,あの時父親は完全に凍死していたでしょう。

その電話は,AさんとBさんだったと信じたいですが,幕末の恨みが現在でも消えていない一つの例になるのではと思っています。

桜田門外の変で斬り落とされた井伊大老の首は,今でも,茨城県水戸市の,あるお寺に「首塚」として保管されています。
親戚がそこの檀家なので,法事があるたびに首塚を訪れます。
水戸市は,彦根市からの再三の返還要請に,未だ応じていないようです。

平成12年12月5日(火)記




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