最後に更新した日:2021年03月13日(土)
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最近ネット社会では、「コンテンツを創り出す意欲」について語られることが多くなりました。
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私が初めてHPを持った14年前(1998年)、宅建試験のための「コンテンツを創り出す意欲」なんていうフレーズ自体、考えたが事が無かったです。
でも、やがて同業他社との競争が激しくなるにつれ、それを意識せざるを得なくなりました。
私の場合は、「俺は何のために宅建倶楽部をやっているのだろう?」、という意識が「コンテンツを創り出す意欲」と重なりました。
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「俺は何のために宅建倶楽部をやっているのだろう?」=「コンテンツを創り出す意欲」が、生活のためである事は間違いないです。
問題は、生活のためとはいえ「宅建倶楽部のポリシーは何か?」という事でした。
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まず、「ネット社会が訪れなかったら、宅建倶楽部はとっくに潰れていただろう」という事実を確認しました。
インターネットのお陰で、私のような個人でも大手に対抗できるようになったのは事実です。
その上での、「俺は何のために宅建倶楽部をやっているのだろう?」=「コンテンツを創り出す意欲」の自問自答です。
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一応の到達点は、「俺を生かしてくれたネット社会に恩返ししよう!」でした。
それが同時に「コンテンツを創り出す意欲」を生み出してくれている、と納得できました。
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それから10年以上経って、現在に至ります。
そして、ふと気がつきました。
世の中には、私の「コンテンツやアイディアを流用」して、いわばネット社会の恩恵だけをかすめ盗っている人が、何と多いことか!
日々ネット上の宅建コンテンツを巡回しているスタッフは、「マネされるのは一流の証拠でしょ!」なんて慰めてくれますが、私は今、流用されていることが原因で「コンテンツを創り出す意欲」が非常に低下しています。
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「俺を生かしてくれたネット社会に恩返ししよう!」が「コンテンツを創り出す意欲」を生み出してくれていたはずなのに、今は、「流用されている」ことが原因で「コンテンツを創り出す意欲」が低下している、という自己矛盾を抱えているのです。
何とかこの矛盾を解決しなければ!
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きょう現在思っているのは、ネット社会の恩恵だけをかすめ盗っている人は、未来永劫いなくなることは無い、という確信です。
歌舞伎の石川五右衛門のセリフだったら「~~浜の真砂は尽きるとも、世に盗人の種は尽きまじ~~」っていうやつです。
だったら、盗む人たちを非難するのは、建設的でないな、と思っているのが現在の心境です。何か建設的な方策はないものか?
最初に投稿した日:2012年09月26日(水)